旅と句
おくのほそ道(50句)
元禄2年(1689)3月27日〜9月6日 芭蕉46歳
元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅である。旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとした。芭蕉は各地を旅するなかで、永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」があることを体験し、この両面から俳諧の本質をとらえようとする「不易流行」説を形成していく。また旅をした土地の俳人たちとの交流は、その後の蕉門形成や、紀行文『おくのほそ道』に大きな影響をもたらす。
『おくのほそ道』は随行の曾良が旅の事実を書き留めた『曾良旅日記』と相違があり、芭蕉は文芸作品として執筆している。和漢混交文の格調高い文章でまとめられ、芭蕉の紀行文としては最も長編で、かつ質的にも生涯の総決算的な意義をもつ。書名は文中の「おくの細道の山際(やまきは)に十符(とふ)の菅(すげ)有(あり)」の地名による。芭蕉自筆本、素龍清書本、曾良や去来へ伝えられた本があり、去来の本を元に刊行された版本がある。
草の戸も住替る代ぞ雛の家
行春や鳥啼魚の目は泪
あらたふと青葉若葉の日の光
暫時は滝に籠るや夏の初
夏山に足駄を拝む首途哉
木啄も庵は破らず夏木立
野を横に馬牽向よほとゝぎす
田一枚植て立去る柳かな
風流の初や奥の田植歌
世の人の見付ぬ花や軒の栗
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
笈も太刀も五月にかざれ帋幟
笠島はいづこ五月のぬかり道
桜より松は二木を三月越し
あやめ草足に結ん草鞋の緒
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降残してや光堂
蚤虱馬の尿する枕もと
涼しさを我宿にしてねまる也
這出よ飼ひ屋が下の蟾の声
眉掃きを俤にして紅粉の花
閑さや岩にしみ入蝉の声
五月雨を集めて早し最上川
有難や雪をかをらす南谷
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰幾つ崩て月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
あつみ山や吹浦かけて夕涼み
暑き日を海に入れたり最上川
象潟や雨に西施が合歓の花
汐越や鶴脛ぬれて海涼し
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡に横たふ天河
一家に遊女も寝たり萩と月
早稲の香や分入右は有磯海
塚も動け我泣声は秋の風
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
あかあかと日は難面も秋の風
しをらしき名や小松吹萩すゝき
むざんやな甲の下のきりぎりす
石山の石より白し秋の風
山中や菊はたをらぬ湯の匂
今日よりや書付消さん笠の露
庭掃て出ばや寺に散柳
物書て扇引さく余波哉
月清し遊行の持てる砂の上
名月や北国日和定なき
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋
浪の間や小貝にまじる萩の塵
蛤のふたみに別れ行秋ぞ